
大学病院で診療していた頃、
脳など全身に転移した末期の原発性肺癌患者の治療を行った。抗がん剤、免疫療法を行った後に、
中国伝統医学による証候診断に基づいた生薬治療を長期にわたって行っていたところ癌は増大せずに、一定の大きさを保ったまま、7年間も無症状で日常生活を送っていた。 あるとき、この方が新聞の切り抜きをもって来院した。 副
作用のない飲み薬で肺癌によく効く新薬であると言う癌の専門家による新聞記事であった。 本人はこの薬で治療してほしいとの強い希望であった。 この薬は上皮細胞成長因子(EGF)の受容体拮抗剤でいわゆる
分子標的治療薬の先駆けでイレッサという薬であった。 通常の抗がん剤のような骨髄障害や胃腸障害はほとんど無く、唯一の副作用は間質性肺炎であった。念のため、服用後2ヶ月間は呼吸器内科に入院して副作用のチェックを行いながらイレッサを投与した。 入院中、副作用は一切認められなかった。 ところが、退院して一ヶ月後の外来受診したおり、食欲が全くなくなってしまった。イレッサを中断し、種々の胃腸薬を処方したが食欲は全く改善せず。 3ヶ月後に亡くなってしまった。 EGFは上皮細胞(皮膚、肺、胃腸などの上皮細胞)に存在し、その増殖成長を促進する細胞成長因子であるので、当然、これらの臓器組織に副作用が発現されることは予想できたが、
イレッサの臨床治験は海外で欧米人を対象に行われており、欧米人を対象とした治験データでは胃腸障害は1%以下と記載されていた。 ところが、後に日本で多数の患者に使用され結果が公表されたのを見ると日本人での胃腸障害の発現は15%程度と非常に高いことが判明した。 人種により副作用の程度が異なっていた。この薬の日本人に対する副作用を調査しないで、又調査した結果を医師に広報しないで安易に使用されたところに問題がある。癌の専門家の新聞記事さえ読まなければこの方は今でも生きておられたかもしれない。ここで強調しておきたのは、「
癌の専門医としての必須条件は抗ガン剤の副作用を熟知していることである」というのが世界的常識である。